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【創造的休暇】順応と回復の地 石川 直樹

21.11.18

一カ月近いネパール・ヒマラヤの旅から帰国し、

初夏の奈良を訪れた。

 

ヒマラヤでは森林限界を超えた

標高4000メートル前後の空気の薄い山岳地帯に長く滞在し、

ぼくは身も心も乾いていた。

 

ヒマラヤでは高所順応が必要なように、

日本に帰ってきたら低所順応をしなければならない。

 

そんな疲れ果てた自分に、

紀寺の家で過ごす日々はうってつけだった。

 

ヒマラヤのロッジでは、

小さく堅い木のベッドの上に

敷いた寝袋にくるまって眠る。

 

でもここでは、

畳の上に敷いたふかふかの布団で眠れる。

寝返りを打っても床に落ちることはない。

 

ヒマラヤでは一週間同じ服を着続け、

お湯で体を洗えるのも一週間に一回程度だった。

それも、ちょろちょろと流れ落ちるだけの心もとないシャワーか、

バケツに入れたお湯を体にかけるのみ。

 

ここでは、タイル張りの五右衛門風呂にざぶんと浸かって、

心ゆくまで体を温めることができた。

 

ヒマラヤの朝食は、

かちこちの冷たいトーストに

真っ赤なゼリーのようなジャムをつけて食べていた。

 

ここでは、

釜に入った出来立てのごはんをいただいた。

味噌汁に入っている油揚げを口に入れただけで、

幸せな気持ちになった。

 

自分で淹れるコーヒーもお茶も、

口にするあらゆるものが内臓に染みた。

 

朝、食事をしながら

近くの学校のチャイムが聞こえた。

 

縁側から庭を眺めていると、

どこからともなく鳥の鳴き声が耳に入った。

 

静かだけど、

静かすぎないのがいい。

誰かの生と隣り合わせに自分が在るということを思い出し、

いま生きていることのありがたみを感じる。

 

二泊したうちの一日は、

大雨で、風もことのほか強かった。

 

その日、

ぼくは縁側から、

強風にかしぐ庭の木を、

屋根から滴り落ちる水滴を、

木の壁を叩く横殴りの雨粒を

ただ眺めてばかりいた。

 

寒くない。

つらくない。

息苦しくない。

 

毎日、数百メートルの高低差のある山道を

何キロもひたすら歩き続けていた日々とは

対極の時間を過ごしながら、

しかし、頭の中ではこの先に広がる旅への思いが渦巻き、

新しい考えが次から次へと浮かぶ。

 

何もしていないのに、

思考が縦横に巡り続けている状態、

こうした時間に身を浸すことこそが

自分にとっての「創造的な休暇」というのだろう。

 

厳しい遠征から帰った後は、

生きていることを実感する特別な順応期間が必要で、

紀寺の家はそれを十分にもたらしてくれた。

 

またここに泊まりたい。

 

そう思える空間がひとつ増えたことを、

自分自身、喜んでいる。

 

写真家 石川 直樹

写真:「縁側の町家」
撮影:okuyama haruhi